金沢市消防団の歴史をお伝えします。加賀鳶の歴史と心意気をひも解きながら、未来の子供たちに伝えていきたいと存じます。
享保3年(1718年)八代将軍徳川吉宗が防火体制強化を図るため、「町火消し」が組織化されるが、それよりもはるか59年前の万治2年(1659年)にすでに、金沢では18組の「町火消し」が組織された。この「町火消し」は一町30名から50名で組織されていて、10人ごとに梯子や鎌、熊手などの消火資材を持っていたという。これが金沢市消防団の起源といわれている。
さらに明治28年(1895年)消防組は金沢第一から第七消防組に再編され、第一から第四消防組が西警察署(現在の中警察署)、第五から第七消防組が東警察署管轄となる。
昭和14年(1939年)には金沢市消防組と金沢市防御団が合併して、金沢市警防団となり、金沢市第一警防団、第二警防団、第三警防団が組織され、広坂警察署(現在の中警察署)、玉川警察署(現在の東警察署)そして金石警察署(現在の西警察署)にそれぞれ置かれた。
昭和22年(1947年)消防団令の施行により、金沢市警防団が解体されると同時に金沢市消防団が組織される。翌23年には消防組織法の施行により、消防行政が警察行政から分離独立し、常備消防と消防団の現在の組織体系となった。
昭和37年(1962年)に森本町が金沢市に編入されて、現在の第一消防団20分団、第二消防団21分団、第三消防団8分団の合計49分団となり、現在に至っている。また、平成18年(2006年)には女性消防団員を採用し始めた。
消防団に対する市民の要望はますます高まっています。私たち消防団員は、金沢市消防団の長い歴史と加賀鳶の心意気を忘れずに、一人一人自己研さんに励み、49の分団のそれぞれの団員が一致団結し、金沢市の消防、防災に貢献していく所存であります。どうかよろしくお願いいたします。
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